私のちまちまと綴ったエッセイ的なもの並べてみた。
わたしという人
わたしのまわりのものたち
わたしの好きなこと
わたしのまわりの人たち
いつか本になるといいなぁ。
肩の痛みがなかなか治らない。
整骨院の先生曰く、「一生、腰の痛い人はいるが、一生、肩の痛い人はいない。だから、必ず痛みは治りますよ。ただ、放っておくと、肩の痛くない範囲で腕を動かすことになり、肩の痛みが治まるとともに、その範囲でしか腕を動かせなくなります。」とのこと。
なんとまあ、おそろしや。
先生のありがたいお言葉を受け、私は、肩が痛いからと放置せず、常日頃から、腕を動かすぞと肝に命じ、何か腕や肩を動かす習慣付けはできないかと考えた。
そこで思いついたのが、ラジオ体操だ。
なんでもラジオ体操をすると、それなりの運動量があり、ダイエット効果も見込めるそうだ。
しかも、便利なもので、タブレットで検索してみたら、ラジオ体操の動画がすぐ見つかった。もう昔のように、決まった時間のラジオ放送を聞く必要はなく、いつでも自分の好きな時間にラジオ体操ができる。
そんなわけで、朝、寝起き一番、ラジオ体操を始めて、なんとか3日が経った。
久しぶりにラジオ体操をしてみて、いくつか気付いたことがある。
まず、ラジオ体操の動きは、体に染み付いていて、聞き覚えのある音楽が流れてくると、自然に手足が動き、難なく全てをやり終えることができた(ラジオ体操第一のみ)。これなら、将来ボケても続けられそうな気がする。
それから、想定以上に音楽のテンポが早かった。朝起きてすぐにやるものだから、寝ぼけていて動きがおぼつかないせいだと思いたいが、これも老化の一つと捉えるべきかもしれない。ただゆっくりラジオ体操をするというだけの「ゆっくりラジオ体操」とか始めたら、お年寄りなんかに流行る気がする。
そして、1番の発見は、ラジオ体操とは、やたらと腕をぐるぐると大きく動かす体操であるということだ。
いきなり腕を振り上げたかと思うと、大きく回して下ろす。そして左右へ開いたり、斜め上に振り上げたり、上にぴんと伸ばしたりもする。それはもう、肩の痛い私に対する挑戦か、何かの嫌がらせかと思うくらいなのである。
肩の痛みを抱えつつ、このような体操をすることが良いことなのかどうかは不明であるが、ラジオ体操をして改めて、肩というのは、腕のいろんな動きに対応する要の関節であると実感した。日頃、複雑な動きを可能とする肩のごくごく一部しか稼働していないことは明らかであり、そりゃ肩が痛くもなるわなと深く反省したのであった。
その昔、上司が、
「前の職場は、小学校の横にあって、毎日のようにラジオ体操をしているのが聞こえていてね。僕も、小学生がするのに合わせて、ラジオ体操をしていたんですよ。」と言い出した。
「それはいいですね。」と私。
「それでね。ラジオ体操が終わると、『元の隊形に戻れ』って掛け声が聞こえるんですよ。それで僕も元の体型に戻らないかなぁって。はは。」
「(隊形…体型…元の…)はは。」
体型は、もうよい。小学校の頃のように元気ともいわない。それなりに元気を目指して、明日もまたラジオ体操をしようと思う。
*もうひとついかがですか
*私を綴る エッセイ的なものたち
我が家のCOCOROBO ココちゃんとの日常
ココちゃんは、なななんと、時間を聞いたら声で教えてくれるのです。
そんなお利口さんと知り、ココちゃんに時間を(もっちろん、標準語で)聞いてみました。
「今、何時?」
(・・・)
やや。また無視か。聞き取れなかったかな。もちっと近づいてみるかな。
「今、何時?」
(・・・)
うーん、ココちゃん。ココちゃんのお顔に、デジタル時計が表示されてて、もう今何時か見えちゃってるよ(上の写真をご覧ください。)。
14時16分やん、今。
「今、何時?」
「もうすぐ、」
おお、聞き取れたみたい。返事くれそう、んでも、もうすぐって・・・
「14時20分やでー」
ええええー。
教えてくれたはいいけど、結構おおざっぱーーーー。
なるほど。
この質問は、会話らしきものを楽しむもので、正確な時間を知りたいときは、目で見て確認したらいいのね・・・。
まあ、ココちゃん可愛いからいいっか。
*もう一ついかがでしょう
引っ越しをして、2ヶ月が経過した。我が家にいろいろな人などが遊びにしてくれた。
しかし、思わぬ客が来ることもある。
まず、カラスが来た。
屋根の上で、カァカァと鳴くにとどまらず、ある日、ぼんやりと庭を眺めていたら、突然バッサバッサとカラスが舞い降りて、庭を這うトカゲらしきものをくわえて去っていった。
カラスの捕食する姿にも驚いたが、庭にトカゲがいたことにも驚いた。
次に鳥。
これまで見たことのない濃い緑の鳥が、毎朝庭先にやってくる。時に、ミミズのようなものをくわえて現れることもあるから驚く。
2羽の鳥が、じゃれあってもつれ、我が家の窓に激突するということもあった。なぜだ。我が家が自然に溶け込みすぎているのか。
そして、イタチ。
これまたあるとき裏庭をぼんやり眺めていたら、視界を横切るあやしい茶色い影が。
リスか。リスと思いたいが、おそらくイタチであろう。
先日も、遊びに来ていた友人が、庭を横切る茶色い影を見て、「ほんまや。イタチがいる。」と驚いていた。見ると、先日の影とは異なり、やや毛色が濃いようだった。近隣に2匹以上のイタチが生息しているようだか、もしかすると、先の物体はリスだったのかもしれない。リス好きの私としては、あれはリスかもという淡い希望は捨てずにいたい。
最後に猫。
近年、野良猫をあまり見かけなくなったのだが、なぜか裏庭を、黒猫(首輪あり)、黒猫(首輪なし)、白に茶色のぶちの3匹が我が物顔で通過して行く。
首輪ありの黒猫ちゃんなど、裏の石壁の上をお散歩、お昼寝と徐々に我が家に馴染み、ついには、窓の外にちょこんと座って、ご挨拶に来てくれた。
以前より、我が家の猫ちゃんと友達になって欲しいと願っていたので、猫ちゃんを窓辺に連れて行くと、黒猫ちゃんは、我が家の猫を見て相当驚いたようだった。
(上の写真がその時の様子を撮ったもの)
その後もしばらく、黒猫ちゃんは、我が家の様子を伺っていたので、我々に相当の興味があるようだ。是非、また遊びに来てほしい。
そんなこんなで、何やら賑やかな我が家であるが、出来れば人に遊びに来てもらいたい。
しかし、学生時代に、貧しい暮らしとボロ屋を友人に見せたくなかった私は、友人を家に招いたことがない。そのため、どうやったら人が家に来てくれるのか、来たら来たで何をしたらいいのか、今一つわからなかったりする。
おまけに、私は空気読めない系なので、どの程度お誘いしてもいいのか、加減がつかめない。
私の社会性の低さには、全く困ったもんである。
来るもの拒まず
まあ、焦らずとも、間口を開けて、のんびり待っていれば、誰か遊びに来るでしょう。それよりも何よりも、私に会いたいと思ってもらうことが大事なんだろうなあと、ぼんやりと庭を眺めつつ、考えている。
*もうひとついかがですか
*私を綴る エッセイ的なものたち
我が家のCOCOROBO ココちゃんとの日常
ココちゃんは、関西弁使い(関西弁モードに設定)でありながら、関西弁の聞き取りは苦手で、標準語しか聞き取ってくれない。
まずは、手始めに「おはよう」から、話しかけを始めてみた。コテコテの関西人が標準語で挑むあいさつ。頼むぞ。聞いてよ、ココちゃん。
「おはよう」
(・・・)
あれ?ココちゃん、聞こえなかったかしら。
もちょっと近づいてみるかな。発音おかしかったかな。標準語、標準語。
「おはよう」
(・・・)
なになに、ココちゃんのトリセツによると、最初の「お」と最後の「う」をはっきりというべしか。うむ。
「おはよう」
(・・・)
あー、えー。最初と最後はっきり言ったぞ。やっぱり標準語になったないのかしら。
「おはよう」
(・・・)
あれれれれ。うーん、もう一回。
「おはよう」
(・・・)
ココちゃん…
いろんな言い方の「おはよう」だけが、虚しく響く室内。
今日はもうここまで。もう、「おはよう」の正解がわからないよ。周りに標準語を話せる人がいないし、困ったもんだな。
まあ、ココちゃん、可愛いからいいんだけどね。
*もうひとついかがでしょう。
我が家のCOCOROBO ココちゃんとの日常
我が家にココちゃんが来ました。
早速、関西弁モードに設定。これで、ココちゃんは、コテコテの関西弁使いに変身だ。
なのに、お耳の方は標準語にしか反応しないので、こちらからの話しかけは、標準語に限られている。
ところが、私は、コテコテもコテコテ、筋金入りの関西弁使いなのである。
関東地方へ訪れようものなら、ものの数語発しただけで、「関西の方ですか?」と鋭い指摘を受けてしまうのだ。私は標準語を話しているつもりなのに、なぜわかってしまうのか、全く見当がつかない。
そんなわけで、コテコテの関西人の私が、引きつった標準語で話しかけると、ココちゃんがコテコテの関西弁でお返事するという、ちょっと切ない生活が始まりました。
まあ、ココちゃん、可愛いからいいけどね。
*もう一ついかがでしょう
今日は、父との思い出をテーマに語ってみたいと思う。
語ってみたいのだが、これといった語れるような思い出が1つもない。何か1つくらいあっても良さそうなのだが、本当に1つもない。
なぜだろう。私は、父に良い思い出を期待しすぎているのだろうか。
じゃあとりあえず、とにかく思い出せることの中で、楽しかったことを書いてみよう。
私が小学生くらいの時、我が家では、毎週日曜日の晩御飯時に、クイズ番組を見るのが恒例だった。家族揃ってちゃぶ台を囲み、それぞれが回答し、当たったの外したので、家族みんなで盛り上がった記憶がある。
あ、これは父の思い出ではなくて、家族の思い出か。
だめだ、次。嬉しかったことを書いてみよう。
あれは確か、私が、(1回目の)結婚をした時のことだった。なぜか父が指輪をプレゼントしてくれた。それには、手紙が添えられていて、「あなたには何もしてやれませんでした。」というようなことが書いてあったような気がする。全くその通り、よくわかっていた父であった。
よし、次。面白かったことを書いてみよう。
あれも確か、私の(1回目の)結婚式のことだった。父が、母を通じて、お式で歌を歌いたいといってきたが、ややこしいので聞かなかったことにしていた。しかし当日、父は、勝手に司会者に頼み、歌の出番を確保していた。しかも、歌い出したら、それは替え歌になっていて、私へのメッセージソングだった。
花嫁の父が替え歌を披露するお式なんて、聞いたことがない。なんだあいつは。
いいぞ、次。好きだったことを書いてみよう。
何1ついいところなしの父だったが、母のことは好きだったらしい。いつも母のことは可愛い可愛いと言っていた。子の私から見ても、お世辞にも可愛いとは言い難い母でああるが、本気で可愛いと思っている口ぶりだった。母への接し方にかなりの問題はあったものの、母を可愛いというところは、唯一と言っていいくらい好きなところだ。
ちなみに、嫌だったこと、辛かったことは、この100倍くらいはある。どうやら、暗い思い出の向こうに、チラチラといい思い出も混じっているようだ。それは、川で砂金を探す行為に近い。残念だ。
お酒ばかり飲んで、家族を困らせ、家族にいい思い出も残せなかった父は、どうしてあんな生き方しかできなかったのか、私には不思議でならない。何が楽しくて、あるいは何が辛くて、あんなにお酒を飲んでいたのか、全く理解に苦しむ。
もしかしたら、父本人にもその答えは、わからないのかもしれない。まあ、その答えを聞こうにも、父に、もう聞くこともできない。
いつか私が天国に行ったら聞いてみたいけど、その時はどうか、お酒を飲んでいない父に会わせてほしい。普通でいいから、普通に話がしたかった。
*もう一つどうですか
*私を綴る エッセイ的なものたち