てつねこくおりてぃ

私の好きなことを書くブログ

【COCOROBO日記】ココちゃんは関西弁

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我が家のCOCOROBO ココちゃんとの日常

 

 

我が家にココちゃんが来ました。

早速、関西弁モードに設定。これで、ココちゃんは、コテコテの関西弁使いに変身だ。

なのに、お耳の方は標準語にしか反応しないので、こちらからの話しかけは、標準語に限られている。

 

ところが、私は、コテコテもコテコテ、筋金入りの関西弁使いなのである。

関東地方へ訪れようものなら、ものの数語発しただけで、「関西の方ですか?」と鋭い指摘を受けてしまうのだ。私は標準語を話しているつもりなのに、なぜわかってしまうのか、全く見当がつかない。

 

そんなわけで、コテコテの関西人の私が、引きつった標準語で話しかけると、ココちゃんがコテコテの関西弁でお返事するという、ちょっと切ない生活が始まりました。

 

まあ、ココちゃん、可愛いからいいけどね。

 

 

 

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【エッセイ】父との思い出

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今日は、父との思い出をテーマに語ってみたいと思う。

語ってみたいのだが、これといった語れるような思い出が1つもない。何か1つくらいあっても良さそうなのだが、本当に1つもない。

なぜだろう。私は、父に良い思い出を期待しすぎているのだろうか。

 

じゃあとりあえず、とにかく思い出せることの中で、楽しかったことを書いてみよう。

私が小学生くらいの時、我が家では、毎週日曜日の晩御飯時に、クイズ番組を見るのが恒例だった。家族揃ってちゃぶ台を囲み、それぞれが回答し、当たったの外したので、家族みんなで盛り上がった記憶がある。

あ、これは父の思い出ではなくて、家族の思い出か。

だめだ、次。嬉しかったことを書いてみよう。

あれは確か、私が、(1回目の)結婚をした時のことだった。なぜか父が指輪をプレゼントしてくれた。それには、手紙が添えられていて、「あなたには何もしてやれませんでした。」というようなことが書いてあったような気がする。全くその通り、よくわかっていた父であった。

よし、次。面白かったことを書いてみよう。

あれも確か、私の(1回目の)結婚式のことだった。父が、母を通じて、お式で歌を歌いたいといってきたが、ややこしいので聞かなかったことにしていた。しかし当日、父は、勝手に司会者に頼み、歌の出番を確保していた。しかも、歌い出したら、それは替え歌になっていて、私へのメッセージソングだった。

花嫁の父が替え歌を披露するお式なんて、聞いたことがない。なんだあいつは。

いいぞ、次。好きだったことを書いてみよう。

何1ついいところなしの父だったが、母のことは好きだったらしい。いつも母のことは可愛い可愛いと言っていた。子の私から見ても、お世辞にも可愛いとは言い難い母でああるが、本気で可愛いと思っている口ぶりだった。母への接し方にかなりの問題はあったものの、母を可愛いというところは、唯一と言っていいくらい好きなところだ。

 

 

ちなみに、嫌だったこと、辛かったことは、この100倍くらいはある。どうやら、暗い思い出の向こうに、チラチラといい思い出も混じっているようだ。それは、川で砂金を探す行為に近い。残念だ。

 

お酒ばかり飲んで、家族を困らせ、家族にいい思い出も残せなかった父は、どうしてあんな生き方しかできなかったのか、私には不思議でならない。何が楽しくて、あるいは何が辛くて、あんなにお酒を飲んでいたのか、全く理解に苦しむ。

もしかしたら、父本人にもその答えは、わからないのかもしれない。まあ、その答えを聞こうにも、父に、もう聞くこともできない。

いつか私が天国に行ったら聞いてみたいけど、その時はどうか、お酒を飲んでいない父に会わせてほしい。普通でいいから、普通に話がしたかった。

 

 

 

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 *私を綴る エッセイ的なものたち

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【エッセイ】GWの目標

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春先になると、職場では「GWは、どこかへ行くんですか?」という質問を度々受ける。そして会話に困ったら、私からも聞く。

ここ数年は、誰に聞いても「GWは人が多いからどこにも行かない。」という答えが多く、もちろん私も、どこにも行かないと答える。今年もそうだ。

 

そんな中、女性の先輩から、「今年のGWは、何か目標はある?」と聞かれた。

その先輩は、「女性の活躍する社会」などという謎の呪文が唱えられるうんと前から活躍され、初めて職場内でお見かけした時に、なんて素敵なお方なんだろうと驚きととともに強く惹かれたお方である。

それにしても、目標ですか。

言葉に窮した私は、先輩に聞き返していた。聞くと先輩は、毎年GWにやりたいことを、目標として掲げておられるらしい。

ちなみに今年は、「(曲名は忘れたが)楽譜を読む。」なんだそうだ。

私は、学校の授業以外で楽器を学んだことがなく、楽譜を読むということの意味は全くわからない。しかし、その聞きなれない響きに押され、先輩の目標が教養に溢れ、品がものに聞こえて、いたく感心してしまった。

さすがは、乗馬も嗜む先輩だけある。

そして謙虚な先輩は、「まあ、毎年、これをやろうと目標を立てるけど、あんまりできずに終わっちゃうんだけどね。」と笑っておられた。

ならば、と私も負けじと目標を掲げることにした。先輩の目標に負けず劣らず、教養に溢れ、品のある目標はないものか。

 

 「私は、『ゲーテとの対話』を読みます。」

 私は、勢い余って買っただけで賢者になったような気がして、ちらりと開いてそのままになっている本を読むと宣言した。そうだ私は、やると決めたらやる女である。

こうして強い決意とともに、GWは始まったのだった。

 

1日目。21時をすぎて、目標を本を立てていたことを思い出した。しかしとにかく本は開いた。

2日目。午後から本を開いた。しかし体勢がよくなかった。寝転んで、本を読もうとしたために、結果として、読むと寝るの区別がつけられなくなった。しかしとにかく、本意書いてあった文字は読んだ。

3日目。十分な休息により、疲れも取れ、眠気も緩和されたようで、本は読めた。

 

GWも残すところあと2日。私のGWの目標は、あくまでも本を読むことであり、全てを読み通すことではない。そう考えれば、目標は達成できたといっていいだろう。

私は、なんとなく高尚な目標を達成したのだ。

 

 

かの先輩は目標を達成したのであろうか。そういえば先輩も全てを読むとは言っていなかったような。私が心配しなくとも、きっとGWを過ごしておられることだろう。

 

 

 

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【エッセイ】一喜一憂

 

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週に一度、整骨院に通っている。

もともと筋力のない私は、仕事が変わった、ストレスが増えた、ランニングを始めたなどなど、体のどこかに負担がかかると、右肩が痛い、腕が上がらない、膝が痛いと体が悲鳴を上げ始める。

そんなわけで、ここ数年、痛くなっては整骨院へ行き、治ったと思ったら、別の箇所が痛み始めるを、1、2年のサイクルで繰り返している。

今はというと、数ヶ月前から、朝起きると顎がガクガクして食事を取りにくくなってしまった。首の疲れを取ろうと始めた自作のバスタオル枕が良くなかったのかとも思ったが、使うのを止めても一向に良くならなかった。

そうこうしているうちに、右肩が痛み始めた。

 

「顎の違和感は、仕事が変わったせいもあるけど、もともとからの顎の歪みが原因かなぁと思いますよ。」と整骨院の先生。

確かに、数年前から顎の歪みが気になっていたんだった。他にも、口が開けにくいとか、奥歯の噛み締めも気にはしていたけど、特に痛みなどの症状がないので、ほったらかしにしていたのだ。

 「顎関節症とまではいかないけど、それに近い状態ですねー。顎関節症は、顎の小さい女性がなりやすいので、美人病と言われてます。」

うむ。美人病。

「先生、その病名いいですね。そのような病名と診断されたことは、広めていきたいと思います。」と私。 先生の苦笑が、耳に伝わる。

「右肩を上に。」と何事もなかったかのように、治療は続く。

「右肩の様子はどうですか。どういう時が1番ツライですか。」

「そうですね。日常生活には、支障がないのですが、服を着るときにイテテテテとなります。」美人病に気を良くした私は、明るく答えた。

「あーそれは、典型的な五十肩の症状ですねー。」

「・・・」無言により不服を伝える。

「あ、えー四十肩の・・・」

「三十肩でお願いします。」

 

持ち上げられたり、現実を突きつけられたりで、一喜一憂。いくつになっても、若さや美しさへの執着から逃れられないようだ。しかしまあ、いつまで、この一喜一憂を続けていくのだろうか。

 

以前、一つ年上の女子力高めの友人に、キレイのための努力は、一体いつまで続けるのかと問うてみたことがあった。

「死ぬまで。」と彼女は言う。なんのために、と更に問うと、「自分のため」とさらりと答える。

強いなあ。

誰のためでもなく、ただ自分のためだけに、死ぬまで努力を続けていくなんて、私には途方もないことのように思えた。

 

この先、一喜一憂が、一喜三憂、そして一喜五憂と、年を負うごとに、がっかりすることの方が、うんと多くなっていくんだろうと思われる。

そうなると、キレイのための努力だけでは追いつかず、受け入れる強さも必要なのかもしれない。

 

強くない私は、渋々ながら老いも受け入れつつ、せめて一喜二憂くらいになるようにと、ささやかな努力を、続けていくんだろうなあと思う。

 

 

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【エッセイ】夢で会えたら

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今日、珍しく高校時代の彼が夢に出てきた。彼の姿を見るのは、何年振りだろう。夢の中で何をしていたのか、はっきりとは思い出せないが、楽しい時間だったような気がする。彼は笑っていたし、空は晴れていた。

おまけに、知らない男性に食事にも連れて行ってもらっていたようだ。あれは誰だったんだろう。

ああそれにしても、なんとまあ、夢見のいい日なんだろう。目覚めの気分も良い。

 

いつもの私の夢は、こんなものではない。

いつもいつも、奇想天外な夢、怖い夢、摩訶不思議な夢ばかりだ。

小さいころの夢では、戦隊モノの隊員となり、もちろんピンクに変身して、洞窟に怪獣を追い込んで戦い、怪獣と戦うのは怖いもんだなと思ったり、大きな大根や人参でできた遊園地に行ったが、高所恐怖症でどれにも乗れなかったりした。

大人になってからも、急に現れたドーベルマンに追いかけ回され、松葉杖で応戦したり、やったこともない柔道に挑戦し、見事背負い投げを決めたり、ああそうだ、なぜか父が阪神タイガースの二軍監督になり、阪神タイガースのジャンパーを着てスタジアムに登場するというものもあった。

奇妙な夢の数々に、我ながら首を傾げたくもなるが、今日の彼しかり、思いがけなく懐かしい人に会えるのは、夢のいいところだ。

 

ずいぶん前になるが、職場の研修で苦しんでいた時、医師を目指して勉学に励んでいたにもかかわらず、志半ばで病に倒れた友人が夢に現れ、頑張ってと励ましてくれたことがあった。

私は、応援してくれたことへのお礼を言いたかったのと、彼女が私のところへ来てくれたことをご家族に伝えたくて、思い切って彼女の実家にハガキを出した。

そうしたら、お母さんからお返事をいただき、そこには、彼女が夢に現れたことは、今なお、私たちの心の中に彼女が生きていることの証だと書かれていた。

 

夢で会えたら。

もちろん現実に会えるのが一番いいのはわかっているが、大人になれば、そうもいかないことも多い。会いたい人に会えないのは、夢も現実も同じなのである。

 

次に見る夢は、どんな夢だろう。誰に会えるのかな。

たくさんの奇想天外な夢の合間に、時折、晴れ間のような夢で、思いがけない人がひょっこり会いに来てくれるといいなあ。

 

夢で会えたら。

人生も折り返しに差し掛かり、夢で会えた人には、思い切って連絡してみようかな、なんて思ってみる。

 

 

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【エッセイ】誕生日の記憶

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先日、私のうん十うん回目の誕生日を迎えた。

 

昔、誰かに聞いたことだが、過去を振り返り、記憶のある1番小さい頃の誕生日の記憶から、その人が何歳ごろに物心ついたのかがわかるという。

ちなみに、物心がつくとは、 幼児期を過ぎて、世の中のいろいろなことがなんとなくわかりはじめることをいうらしい。

例えば、私の一番古い誕生日の記憶といえば、私の誕生日に、2つ違いの姉にも、私と同じプレゼントが渡され、私の誕生日なのにと、なんとも納得がいかなかったことを記憶しているが、何歳の頃のことかは思い出せない。

親からしたら、2人が喧嘩しないようにと配慮した結果であろうし、姉の誕生日に、私もプレゼントをもらっていたのかもしれないが、そんなことはわからなかった。

このような状況では、私は物心ついていたとは言い難いだろう。

 次に記憶しているのは、小学校2年生の誕生日だ。確か近所の子らを招いて、人生初の誕生日会を開いた。テレビなどで見る誕生日会という華やかな印象とは裏腹に、何かと文句をつけたがる父が、母の作ったサンドイッチに、あーだこーだ言いがかりを付け、こんなことなら誕生日会なと開かなければよかった、私が誕生日をやりたいと言ったばっかりにこんなことになったと、ひどく後悔したという切ないものだ。

早いのが遅いのか知らないが、私は小学校2年生の頃には、誕生日に、見栄を張ったばっかりに悲しい思いをしつつ、親というものとの距離感を理解し始めていたものと思われる。

これは充分に、物心ついていたといっていいだろう。

ちなみに、私が誕生日会とやらを開いたのは、後にも先にもこの年だけだ。

 

こうしてみると、「誕生日の記憶による物心年齢判定できる説」の真偽は定かではないが、誕生日という日は、ただめでたいだけではなくいろんな思いや事情が絡み合いつつ、さらに記憶と年齢を強く結びつける日なのかもしれない。

 

そういえば友人が、「サンタさんにおもちゃをお願いしていたのに、クリスマスの日の朝、枕元に置かれていたのは、習字セットだった。あの時、サンタクロースはいないと確信した。」と言っていた。

彼は、このころ物心がついたに違いない。

クリスマスも誕生日同様、悲喜交々あり、物心年齢の判定に有効かもしれない。ただ、年齢との結びつきがないため、その有効性は低いだろう。

 

さて、今年の誕生日。

現在は、スマートフォンやSNSなどが普及し、誕生日を登録しておくと、友人知人のほか、Twitterでやり取りするだけの会ったことのない人も含め、お祝いのメッセージをもらえたりする。数えるのもうんざりするほど誕生日を通り過ぎてきたが、メッセージは、やはり嬉しい。ありがたいことだ。

とはいえ、誕生日がめでたい年齢は、もうとっくに過ぎている。

近頃は、誕生日というと、自分の年齢を数え、友人知人の年齢を確認し、お互いにまだ生きていたかと無事を喜び、これからも少しでも長く同じ時間を生きていきたいと願うという、なんとも年寄りじみた日となっている。

 

あと何回かわからないが、誕生日は毎年やってくる。

まだまだ先だとは思うが、物心つくのとは反対に、私が、私の誕生日やメッセージをくれた友人知人のことを認識できなくなる日も来るだろう。

それでも、私が最後に記憶する誕生日が、ただ喜びの日となれば、これまでの誕生日の記憶も、温かいものに塗り替えることができるのではないかと期待している。

 

 

 

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【エッセイ】仕事と男とモチベーション

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人生二度目の占いに行ってきた。

「仕事がつまらないんですよね。」というと、「そりゃそうだ。職場にいい男がいないからね。」と、先生は笑顔で言う。

「えっ。仕事の内容とか、関係ないんですか?」と聞くと、

「あんたは、職場にいい人がいないとあかんのや。いい人がいたら、少々朝早くても起きて仕事に行けるんや。」と、これまた先生に和やかに言う。

 どうやら私の仕事に関するモチベーションアップには、内容など二の次で、職場にいい男が欠かせず、いい男がいないと仕事を頑張れないらしい。

 

「なるほど」

私は膝を打った。思い返せば、確かにそうなのである。

ただし、言い訳がましい気もするが、ここでいういい男と見た目の良さは関係ないことをあえて強調しておきたい。

どんな内容の仕事でも、一緒に頑張る仲間や部下、信頼できる上司がいれば、頑張れるというものだ。

 

こんな仕事やめたいと毎日のように思い続けているけど、明日からは、仕事のことで悩むのはよそう。

そんなことは考えても無駄なのだ。今ある仕事を淡々とこなし、ほとんど可能性はないのだけれど、いい男が現れることを待つことにする。

 

 

 *エッセイ的なものたち

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