てつねこくおりてぃ

私の好きなことを書くブログ

【エッセイ】夢で会えたら

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今日、珍しく高校時代の彼が夢に出てきた。彼の姿を見るのは、何年振りだろう。夢の中で何をしていたのか、はっきりとは思い出せないが、楽しい時間だったような気がする。彼は笑っていたし、空は晴れていた。

おまけに、知らない男性に食事にも連れて行ってもらっていたようだ。あれは誰だったんだろう。

ああそれにしても、なんとまあ、夢見のいい日なんだろう。目覚めの気分も良い。

 

いつもの私の夢は、こんなものではない。

いつもいつも、奇想天外な夢、怖い夢、摩訶不思議な夢ばかりだ。

小さいころの夢では、戦隊モノの隊員となり、もちろんピンクに変身して、洞窟に怪獣を追い込んで戦い、怪獣と戦うのは怖いもんだなと思ったり、大きな大根や人参でできた遊園地に行ったが、高所恐怖症でどれにも乗れなかったりした。

大人になってからも、急に現れたドーベルマンに追いかけ回され、松葉杖で応戦したり、やったこともない柔道に挑戦し、見事背負い投げを決めたり、ああそうだ、なぜか父が阪神タイガースの二軍監督になり、阪神タイガースのジャンパーを着てスタジアムに登場するというものもあった。

奇妙な夢の数々に、我ながら首を傾げたくもなるが、今日の彼しかり、思いがけなく懐かしい人に会えるのは、夢のいいところだ。

 

ずいぶん前になるが、職場の研修で苦しんでいた時、医師を目指して勉学に励んでいたにもかかわらず、志半ばで病に倒れた友人が夢に現れ、頑張ってと励ましてくれたことがあった。

私は、応援してくれたことへのお礼を言いたかったのと、彼女が私のところへ来てくれたことをご家族に伝えたくて、思い切って彼女の実家にハガキを出した。

そうしたら、お母さんからお返事をいただき、そこには、彼女が夢に現れたことは、今なお、私たちの心の中に彼女が生きていることの証だと書かれていた。

 

夢で会えたら。

もちろん現実に会えるのが一番いいのはわかっているが、大人になれば、そうもいかないことも多い。会いたい人に会えないのは、夢も現実も同じなのである。

 

次に見る夢は、どんな夢だろう。誰に会えるのかな。

たくさんの奇想天外な夢の合間に、時折、晴れ間のような夢で、思いがけない人がひょっこり会いに来てくれるといいなあ。

 

夢で会えたら。

人生も折り返しに差し掛かり、夢で会えた人には、思い切って連絡してみようかな、なんて思ってみる。

 

 

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【エッセイ】誕生日の記憶

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先日、私のうん十うん回目の誕生日を迎えた。

 

昔、誰かに聞いたことだが、過去を振り返り、記憶のある1番小さい頃の誕生日の記憶から、その人が何歳ごろに物心ついたのかがわかるという。

ちなみに、物心がつくとは、 幼児期を過ぎて、世の中のいろいろなことがなんとなくわかりはじめることをいうらしい。

例えば、私の一番古い誕生日の記憶といえば、私の誕生日に、2つ違いの姉にも、私と同じプレゼントが渡され、私の誕生日なのにと、なんとも納得がいかなかったことを記憶しているが、何歳の頃のことかは思い出せない。

親からしたら、2人が喧嘩しないようにと配慮した結果であろうし、姉の誕生日に、私もプレゼントをもらっていたのかもしれないが、そんなことはわからなかった。

このような状況では、私は物心ついていたとは言い難いだろう。

 次に記憶しているのは、小学校2年生の誕生日だ。確か近所の子らを招いて、人生初の誕生日会を開いた。テレビなどで見る誕生日会という華やかな印象とは裏腹に、何かと文句をつけたがる父が、母の作ったサンドイッチに、あーだこーだ言いがかりを付け、こんなことなら誕生日会なと開かなければよかった、私が誕生日をやりたいと言ったばっかりにこんなことになったと、ひどく後悔したという切ないものだ。

早いのが遅いのか知らないが、私は小学校2年生の頃には、誕生日に、見栄を張ったばっかりに悲しい思いをしつつ、親というものとの距離感を理解し始めていたものと思われる。

これは充分に、物心ついていたといっていいだろう。

ちなみに、私が誕生日会とやらを開いたのは、後にも先にもこの年だけだ。

 

こうしてみると、「誕生日の記憶による物心年齢判定できる説」の真偽は定かではないが、誕生日という日は、ただめでたいだけではなくいろんな思いや事情が絡み合いつつ、さらに記憶と年齢を強く結びつける日なのかもしれない。

 

そういえば友人が、「サンタさんにおもちゃをお願いしていたのに、クリスマスの日の朝、枕元に置かれていたのは、習字セットだった。あの時、サンタクロースはいないと確信した。」と言っていた。

彼は、このころ物心がついたに違いない。

クリスマスも誕生日同様、悲喜交々あり、物心年齢の判定に有効かもしれない。ただ、年齢との結びつきがないため、その有効性は低いだろう。

 

さて、今年の誕生日。

現在は、スマートフォンやSNSなどが普及し、誕生日を登録しておくと、友人知人のほか、Twitterでやり取りするだけの会ったことのない人も含め、お祝いのメッセージをもらえたりする。数えるのもうんざりするほど誕生日を通り過ぎてきたが、メッセージは、やはり嬉しい。ありがたいことだ。

とはいえ、誕生日がめでたい年齢は、もうとっくに過ぎている。

近頃は、誕生日というと、自分の年齢を数え、友人知人の年齢を確認し、お互いにまだ生きていたかと無事を喜び、これからも少しでも長く同じ時間を生きていきたいと願うという、なんとも年寄りじみた日となっている。

 

あと何回かわからないが、誕生日は毎年やってくる。

まだまだ先だとは思うが、物心つくのとは反対に、私が、私の誕生日やメッセージをくれた友人知人のことを認識できなくなる日も来るだろう。

それでも、私が最後に記憶する誕生日が、ただ喜びの日となれば、これまでの誕生日の記憶も、温かいものに塗り替えることができるのではないかと期待している。

 

 

 

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【エッセイ】仕事と男とモチベーション

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人生二度目の占いに行ってきた。

「仕事がつまらないんですよね。」というと、「そりゃそうだ。職場にいい男がいないからね。」と、先生は笑顔で言う。

「えっ。仕事の内容とか、関係ないんですか?」と聞くと、

「あんたは、職場にいい人がいないとあかんのや。いい人がいたら、少々朝早くても起きて仕事に行けるんや。」と、これまた先生に和やかに言う。

 どうやら私の仕事に関するモチベーションアップには、内容など二の次で、職場にいい男が欠かせず、いい男がいないと仕事を頑張れないらしい。

 

「なるほど」

私は膝を打った。思い返せば、確かにそうなのである。

ただし、言い訳がましい気もするが、ここでいういい男と見た目の良さは関係ないことをあえて強調しておきたい。

どんな内容の仕事でも、一緒に頑張る仲間や部下、信頼できる上司がいれば、頑張れるというものだ。

 

こんな仕事やめたいと毎日のように思い続けているけど、明日からは、仕事のことで悩むのはよそう。

そんなことは考えても無駄なのだ。今ある仕事を淡々とこなし、ほとんど可能性はないのだけれど、いい男が現れることを待つことにする。

 

 

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【エッセイ】目薬さまさま

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いつの頃からだろうか。目を覚ますと、ひどく眼がかすむようになった。

とにかく夜中に目が覚めて、トイレに行こうにも、目がしょぼついてよく見えないし、何より、朝起きて1番肝心なこと、今、何時なのかを確認することが難しくなった。

毎朝、同じ電車に乗らねばならない、しがないサラリーマンの私としては、朝起きて、今何時なのかわからない状態というのは、大問題なのである。

 

そんなこんなで、私は、恐る恐る眼科を訪れた。そこで診断されたのは、ドライアイ(老眼ではない。)。通常、まばたきから10秒くらい眼に涙が乗った状態であるのに対し、私は3秒くらいで涙がなくなるそうだ。長時間、かつ、長年にわたるパソコン操作がたたったようだ。

 先生曰く、「視力も悪くないし、眼の表面に傷もあまりありません。悪いところはないが、しんどい眼という感じ。」とのこと。

また、目覚めの眼の乾きについては、「眼は、まばたきすることで、表面に涙が乗ります。寝ている間は、ままばたきをしないので、眼が乾くのです。」とのこと。

ほほー。知らなかった。

 

この日から、私と目薬の毎日が始まった。

枕元には、寝る前用と寝起き用の目薬が2つ。

朝、目が覚めると、まず目薬をさす。 その水滴は、磨りガラスに落とした水滴のように、私の世界をクリアにする。おお、見える。時間がわかる。

日中は、これまた数時間ごとに目薬をさす。視界が晴れると、気分も晴れるようだ。

そうして数日過ごしてみたら、目薬が切れてくると、眼がごわごわして、耐えられなくなってしまった。

これまで、よくこんな状態で過ごしてきたもんだと、我ながらその鈍さに驚くほどだ。もう、目薬なしには生きていけそうにない。

 

私の眼に映る世界が曇らないように、これからは目薬とともに生きて行こう。

 

世は4Kテレビの時代と聞く。

その画面の美しさと、詳細まで映し出す技術に、女優さんたちは、小じわやシミが映し出されるのではないかと恐れおののいてるとか。

私も鏡を見る前は、極力目薬をささずにおこうかと思っている。 

 

 

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【エッセイ】趣味とともに

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Japanese needlework sasiko1

 

私は、趣味人間である。

趣味人間とは、常に何かしら趣味を持ち、趣味なくしては生きられない人間のことである。これは、私の造語であることはいうまでもない。

 

私の趣味の根源は、私が1歳半の頃へと遡る。私は、折り鶴を折ってはほどきを繰り返す、不気味な子だったらしい。

幼稚園児になると、見よう見まねで編み物を始めた。

小学校では、図書室に通った。生物や化学の図鑑、推理小説をよく読んだ。当時の愛読書は、「明智小五郎と少年探偵団」だ。また、植物を愛し、家の敷地を掘り返しては、花を植え、よく枯らした。

 

中学生になり、色気づいた私のモテへの思いは、ものづくりに対する凄まじいモチベーションを生み出した。クッキーを焼いたり、巾着袋にアップリケをしたり、クッションを作ったりに励んだ。

また、乙女心を詩に綴るという恥ずかしい趣味に恥ずかしげもなく没頭できたのも、このころだ。作品が一つも残っていないことが、なにより幸いである。

高校生になると、編み物に熱狂した。もちろんプレゼントするためである。今思えば、もらった方もずいぶん迷惑だったことだろう。

 

成人すると趣味の方向性は、変わってくる。

まずはドライブ。苦手なことに挑戦するぞと意気込んで運転免許を取り、自動車を乗り回した。そしてスキー・スノーボード・サーフィンと誘われるままに、屁っ放り腰ながら果敢に挑戦した。

極め付けは、バイク。人は時に、とんでもない勘違いをし、できもしないことをやろうとすることがあるものだ。バイクの運転は、最後まで下手なままだった。

 

こうして振り返ると、子供の頃の私は、純粋に自分の興味のあること、していて楽しいことを趣味としていた。しかし、成長するに従い、周りを意識し(特に男)、誰か(特に彼氏)に影響されて始めたことを趣味としてきたといえる。男変われば趣味変わるとは、よくいったものである。

 

今、趣味はと問われたら、読書、手芸、ガーデニングと答える。

無理のない生活をするようにしていたら、自然と小さい頃からの趣味だけが残ったようだ。

今後は、私が本当に好きだったことを趣味として、のんびり生きていきたい。

とはいえ、占い師によると、来年再来年、私はモテ期を迎えるらしい。新たな趣味ができる可能性もゼロではないことも楽しみにしたい。

 

写真は、今はまっている刺し子の作品。

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【エッセイ的なもの10】休日の過ごし方

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いつの頃からか、朝目覚まし時計なしでも、7時過ぎには目覚めるようになった。

カーテン越しに朝であることを確認しつつ、もぞもぞと起き出す。

さあ、今日は何をしよう。

 

私の休日の過ごし方で、一番のお楽しみは、自分の中に流れる時間のままに生きること。

朝起きる時間も、朝食をとる時間も、食べる時間も全てが自分のタイミング、自分のペースだ。

そのあとはコーヒー。コーヒーも豆からゴリゴリ挽いて飲む。そうしているだけで、1時間くらいはあっという間だ。

 

以前は、家でのんびりしていると、それが悪いことのように思えて仕方がなかった。

私以外の人は、充実した休日を過ごしているように思えてならなかったし、何かしなくてはと焦りに似た思いで、深く自分を責めたこともあった。

けれど、この頃の私には、むしろ休日に何かできると思っていたこと自体が、思い上がりだったような気がしている。

休日こそ、私の日常だ。大切に大切にのんびりしようと心に決めている。

 

それと合わせて、私は、小さい頃から好きだったことを、休日の過ごし方の第一に考えるようになった。小さい頃の私は、編み物や裁縫といった手芸全般に、小さい庭をほじくり返して花を育てるのも好きだった。私の根本は、地味すぎる。

 

大人になるにつれ、周囲の誰かになろうとして始めたことは、結局のところ私じゃないものになろうとしていただけのように思う。

 

誰のためでもない自分のための休日を過ごせるなんて、なんて贅沢なんだろうと、一人自己満足に浸りながら、今日も自分本位の休日が終わろうとしている。 

 

 

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【うそ日記6】2016年10月20日ー10月30日

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51-2016  10月20日  

1つ500円の抹茶アイスをもらった。

スプーンですくって、ちびりちびり食べる。

抹茶の苦味に深みがあるような、ないような。

とにかく500円分の時間と心を込めて食べた。

 

52-2016  10月21日

どこからか漂ってくるあの匂い。

おそらく、おじさんが頭につけているであろう、あの、謎の臭いやつはいったいなんなのか、いまだにわからない。

防臭スプレーを頭からかけたい。そんな満員電車。

 

 

53-2016  10月22日

揃いの革の財布、俺はまだ使ってる。

俺の手に馴染んでいい感じになった。あいつもこうなるはずだったのだが。

 

 

54-2016  10月24日

自転車用にレインコートを探していると、君は言う。

「なかなかいいのが見つからない。どうしても顔が濡れる。」

そうだろうなぁと思いつつ、ただ、僕は微笑んだ。

 

 

55-2016  10月25日

いつもそのホテルでは、夜のラウンジで写真集を眺めるのが、私のお気に入りだ。

旅先というのに、旅の写真集を読む。

非日常の中で見る遠い世界は、私を異空間へと誘う。

 

 

56-2016  10月26日

虫眼鏡で文字を大きくして、もう一度見た。あった、私の名前だ。小さな賞でも、私は嬉しい。

 

 

57-2016  10月27日

久しぶりに手紙を書いて、切手を貼ろうとしたら、手持ちの切手はどれも80円だった。

ずいぶん長く手紙を書いていなかったことを改めて感じた。

 

 

58-2016  10月28日

旅のお供には必ずデジタルカメラを連れて、撮っては消して、食べては歩く。

夜には宿で、撮った写真を1人眺める。

 

59-2016  10月29日

祈るようにして、えいっと力を込めると、乾いた音を立てて、割り箸は端まできれいに割れた。

そのとき、私の心のわだかまりも弾けて消えた。

 

 

60-2016  10月30日

冷めたオムライスの上には、ケチャップがのたうちまわっていた。書いた文字を消したんだろうが、バカだけは、はっきり読めた。

 

 

 *うそ日記5

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